SDGs Thinking and ESG

「SDGs思考」とESG

2024年1月25日

2030年までに私たちの世界から貧困や不平等をなくし、地球環境を守りながら平和で公正な、「誰一人取り残されない」社会を作ろうと国連で合意された17の目標と169のターゲットを一まとめにして「持続可能な開発目標(SDGs)」と呼ぶが、いまではテレビや新聞、雑誌などでさかんに取り上げられている。電通が実施した「SDGsに関する生活者調査」では、2023年のSDGsの認知率は9割超(91.6%)で、しかも9割弱(87.3%)がポジティブな印象を持っているとの結果が出ているという。同調査を始めた2018年の認知率が14.8%だったことと比べれば格段に広がりを見せていることは明らかだ1)

国連総会でSDGsが合意されたのは2015年9月のことだった。国連外交が専門の学者として研究や啓発に携わり、2017年から3年間はニューヨークの国連日本政府代表部としてまさにSDGsが取り上げるさまざまな経済社会案件に取り組んできた立場からすると、こうした認知率の高まりはうれしく受け止めている。しかし、その反面で、いまはもう2024年。しかも日本は年明けから立て続けに惨事に見舞われ、世界に目を移せば地球温暖化から地政学的な対立まで、持続可能な未来に対する挑戦や、現状打破に最も重要な人々の「連帯」を難しくする動きはむしろ顕著になっている。

昨年9月に国連で開催された「SDGsサミット」の政治宣言では、首脳たちが「すべてのレベルでの国際連帯と効果的な協力に基づき、大胆で、野心的で、加速度を持った、公正で、変革型の行動を取ることにコミットする。人々や地球にとって、そして現代と将来の世代のために、より包摂的で公正で平和的で強靭で持続可能な世界に向かってシステミックな変革を促進していく」との立場を強調した2)。背景には、SDGsのターゲットのうちで「順調に推移している」と評価されるのはわずか15%にとどまっている現実がある。分断が進む世界にあって、首脳レベルでこうした危機感が共有され、緊急の行動の必要性を改めて確認できたことはせめてもの救いである。

何よりも求められているのは行動である。ESGは、いわば企業がチャリティや社会貢献ではなく本業となる収益の拡大とSDGsの掲げる目標やターゲットの達成との両立を進めるためのアプローチと考えてもらえるとよいのだが、そのためには企業がSDGsに取り組むことにそもそも前向きになれるかどうかが問われることになるだろう。この点、先の電通の調査では、「企業が、SDGsに対して積極的に予算や人員をかけて取り組むことは、下記に挙げる各項目についてどのくらい影響があると思いますか」との問いに対し、約8割(79.3%)が好影響を指摘し、具体的な項目では「その企業の良い印象が強くなる」(59.1%)、「その企業の好感度が上がる/応援したくなる」(56.5%)、「その企業への信頼感が増す」(55.9%)などと、企業のレピュテーション向上に直結している状況が示唆されている。また、企業がどういった分野で積極的に動いてほしいかを問うと、「食品ロス」(63.2%)、「再生可能エネルギー」(58.6%)、「気候変動対策」(46.5%)の順で割合が高かったという3)。これらは、いずれも世界の「持続可能性」にかかわるものである。

「持続可能性」のほんとうの意味

いうまでもなく、SDGsとは、Sustainable (持続可能な)Development (開発)Goals(目標)の頭文字を取ったもの。「持続可能な開発」などという堅苦しい表現が使われているのでかえってわかりにくいのだが、一般に「サステイナビリティ(持続可能性)」とは「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在の世代のニーズを満たす」、そんな世界を作っていくことと定義されている。最近では、また、「サステイナブル・ファッション」、「サステイナブル・フード」、「サステイナブル・シティ」など、自然環境や生態系に配慮をした、というような意味合いを強調して「持続可能性」が用いられる場面が増えている。

「持続可能性」を重視する姿勢がこのように日常生活のなかに溶け込んできて、それが正しいことだとの共通認識が高まってきている傾向そのものはとても有益だろう。しかし、そこをもう一歩踏み込み、なぜいま、私たちがことさらに「持続可能性」を強調しなければならないのか、そのほんとうの意味を立ち止まって考えることも大切と考える。というのも、それは、もし現在を生きる私たちが選択を誤ったなら未来の地球や人類は「持続不能な事態に陥る」から、という極めて重大な危機感が背景にあるからにほかならない。大げさに聞こえるかもしれないが、いまの私たちの暮らしを豊かにするために資源を使い続け、自然を破壊し尽してしまうならば、環境と経済と社会のバランスはどこかの時点で確実に破綻する。いまのこどもたちが大人になる頃の世界やその先の世代の地球が、もはや取り返しがつかない(=持続不能な)破局への道をたどるとすれば、それを阻止できるのは「いま」しかない。スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリさんが語気を強め、口を極めて気候危機への本気の取組を訴えたのもこうした問題意識を反映している。

実際のところ、各国の利害が錯綜する国際交渉の場での合意形成は決して容易なことではない。SDGs自体、2012年から3年間、193の国連加盟国の代表が粘り強い政府間交渉を行った末、首脳レベルの「国連持続可能な開発サミット」(2015年9月25日)でようやくコンセンサス(全会一致)で採択された国連総会決議(A/RES/70/1)に盛り込まれたものだった。交渉の過程ではNGOや市民社会の代表を始め、幅広いステイクホルダー(利害関係者)が意見や主張をぶつけている。SDGsは、国連で合意された国際目標だが、まさに全世界の共通言語と言ってもよいほど、多大な情熱と労力の結果生まれたものだったのである。

SDGsの親文書となるこの総会決議には「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ(Transforming Our World: the 2030 Agenda for Sustainable Development)」というタイトルがついている。キーワードは「変革」である。「トランスフォーメーション」という言葉のニュアンスは、変化といっても抜本的なもので、現状の継続は受け入れられない、現在のやり方の延長線上の手直しでは問題解決にはつながらない、したがって、それを根底から刷新・転換・代替するほどにまで大胆で野心的な発想と取組を何とか打ち出せないかー。そうした次元の問題意識がここに盛り込まれているのである。

「持続を可能にするためにいままでとの継続や連続ではない選択を」などというと逆説的に聞こえるかもしれないが、私自身は、世界はいま、それほど大きな転換を、しかも待ったなしで必要としていると感じている。なのになぜ動かない、あるいは、前に進めないのか。SDGsが打ち出された背景には、そうした焦燥感や緊迫感があったことを忘れてはいけないだろう。しかし、ビジネスの観点からすれば、それはまさに新しい市場、新しいイノベーションに挑戦する大きなチャンスととらえることも可能である。

「持続可能性」のほんとうの意味

さて、SDGsが国連で合意された重要な国際目標で、私たちがその達成に向けて行動することがいま求められている、とよく言われるが、その際に私は「SDGs思考」というべき3つの視点がSDGsの本質を理解する上で重要だと考えてる。それらは、SDGsが1目標ベースのバックキャスト型の取組であること、2「誰一人取り残されない」との中核理念をもっていること、そして3(先の繰り返しになるが)「変革」レベルの行動を視野に入れていること、である。

第一に、SDGsではバックキャスト型の発想で取り組むことが想定されている。「バックキャスト」とは聞きなれない言葉かもしれないが、未来を起点とし、そこから遡って現在の選択や決定や行動をするアプローチのことを指す。これは、例えば2030年の世界がどうなっているかを予測(フォアキャスト)することとは逆の発想となる。SDGsを議論する教育の場などでは、児童や生徒たちに自分たちの望む2030年はどんな世界かを思い描いてもらおうといった試みがよく行われている。こどもたちの想像力には大人の発想をはるかに超えたものを期待できるだろうし、やがて大人の仲間入りをして社会の中核を担うこどもたちに自分の夢や希望を思い思いに話してもらうことはとても有益なことだだろう。しかし、そうした議論の前提として、SDGsには実はすでに明確な2030年の世界のヴィジョンが打ち出されていることをまず確認していただく必要がある。いうまでもなく、それがSDGsの17の目標と169のターゲットである。

そう、貧困のない、飢餓がゼロの、すべての人が健康と福祉を享受でき、ジェンダー平等が実現され、人や国の不平等がなく、クリーンなエネルギーで気候変動対策が取られ、働きがいのある仕事で経済成長が進み、産業と技術革新で経済が循環し、人々は住み続けられまちで暮らし、海と陸の豊かさも守られた世界。夢物語のように聞こえるが、これが2030年の世界のあるべきかたちとして国連の場で世界の首脳たちが合意したヴィジョンであって、それを「目標」やいつまでのどのくらいと具体的な数値も伴った「ターゲット」のかたちに落とし込んだものがSDGsになっている。したがって、SDGsは、こうした未来の絵姿を起点とし、遡っていま、私たちが何をすればそこに到達できるのか、それを考え、実践をと、私たちに大きな「宿題」を投げかけていることになる。どれも一筋縄ではいかないものばかりだが、この壮大な「To Doリスト」を受けて、私たちが創意工夫をして何をどこまで達成できるのかがいま問われているのである。

SDGsはターゲット・レベルになると「有害な薬物やアルコールの過剰摂取からみんなを守る」「交通事故による死傷者をいまの半分に」「家事や育児を労働とみなし、家族で、社会全体で分担を」「汚染を減らし、再利用を増やし、水質改善を」「再生可能エネルギーの世界的な使用率をあげる」「雇用創出など、地域の未来につながる観光業を推進する」「移民の送金コストを3%未満に引き下げる」「文化遺産や自然遺産をみんなで守り、後世に残す」「一人あたりの食品廃棄を半分に減らす」「自然災害に対する対応力と回復力を高める」「海へ流れるゴミを減らし、これ以上の海洋汚染を防ぐ」「こどもに対する暴力・虐待・搾取・人身売買・拷問をなくす」などなど、より具体的な事項が2030年までには実現されているべきものとして提示されている。これらについてもバックキャストでいまできること、すべきことのアイデアを打ち出し、行動につなげることが求められていることになる。もちろん2030アジェンダもSDGsも政府間交渉による政治的な妥協の産物なのですべてが網羅できているわけではない。新たに挑戦すべき課題を加えたとしても、2030年までに達成されていることを前提に、そこからバックキャストするという方法論。これがSDGsのユニークな特徴であることはまず認識しておく必要があるだろう。

第二は、「誰一人取り残されない」社会を作るという中核理念である。この考えは日本が外交政策の柱に据えた「人間の安全保障」を反映している。これは、世界の人間一人ひとりの命・生活・尊厳を大切にし、その保護と能力強化を進めていくという政策アプローチである。

新型コロナのパンデミック(世界的大流行)を日本は「人間の安全保障の危機」と捉え、「誰の健康も取り残さない」との姿勢で国内対策にとどまらず大規模な国際協力にも取り組んだ。最も脆弱な立場にある人も含めすべての人の安全が確保されない限り、誰も安全にならないという感染症対策の真髄はまさに「誰一人取り残されない」というSDGsの理念がいかに重要かを示していたと言えるだろう。さらに効果的なコロナ対策のためには、保健・医療(目標3)だけでなく、貧困撲滅(目標1)、ジェンダー平等(目標5)、水と衛生(目標6)、不平等解消(目標10)など分野横断的に取り組む必要にも気づかされる。「誰一人取り残されない」ために包括的な取り組みを促す「人間の安全保障」は、コロナ対応にとどまらず、すべてのSDGsの達成のために重要な視座を提供していると私は考えている。

もちろん、こうした非常時に限らず、あらゆる場面で世界は多様な人々で構成された社会であることに目を向けることが「SDGs思考」において極めて重要になることはいうまでもない。人々が、生まれ育ち、国籍や民族や宗教や性認識が異なったり、こどもや若者や高齢者であったり、病歴や障害があったとしても、互いがリスペクトされて共に豊かに暮らせる社会を築いていくため、それぞれの取組が「誰一人取り残されない」仕組みになっているかをチェックする視座がここに込められている。

「SDGs思考」の特徴の第三は、繰り返しになるが、「変革」の行動主義である。もちろん全部が全部というわけではないにせよ、地球や人類を存亡の危機から救うためにも、現状維持や現状のささいな手直しでは到底達成できない、そんな目標やターゲットがSDGsのなかに盛り込まれている点は見落とせない。例えば、「脱炭素化」。深刻化する気候危機に対処するためには、私たちの生活スタイルから経済活動全般、エネルギー計画、そして科学技術イノベーションまで、あらゆる分野を根本から見直し、新たな道を大胆に選んでいく必要がある。かなりの努力が必要だとしても、しかし、そこに大きなビジネス・チャンスが潜んでいることも見出してもらいたい。

それは無理と考えたならば、SDGsから出された宿題から逃げることになる。どこからでも、小さなものからでも、とにかく発想し、行動につなげることが大切なのである。政府には民間のビジネスや人々が大胆な転換を的確に進められるような政策で支援や誘導をしていく責任がある。民主国家であれば、政府が何をすべきか(すべきでないか)に声を上げる市民・国民の役割は重要だ。また、SNSが進んだ今日は、市民の行動が大きなうねりとなって、新たな変革を生み出すこともできる時代になっている。

「百匹目の猿」になる

「百匹目の猿」という逸話がある。これは英国の生物学者ライアル・ワトソンが作った架空の話だということだが、なかなか真理を突いていると私は考えている。宮崎県串間市の幸島に棲息する一匹のニホンザルがイモを洗って食べる行動を始め、同じ行動をとる猿の数がある「閾値(クリティカル・マス)」を越えたところで、その行動が群れ全体に広がり、さらには遠く離れた大分県の高崎山の猿にもイモを洗う行動が見られたという話。ワトソンは、その閾値をわかりやすく百匹としたわけだが、ポイントは99匹目まではローカルな変化にとどまっていたものが、そこにもう1匹が加わり、「閾値を超えたことで一気にその動きが広がる」という超常現象ともいうべき動きが起こる可能性を示唆しているところである。SDGsが共通言語となり世界の人々が同じ方向で変革のための行動を取るなかでは、私たちの誰かが「百匹目」となり、今後の潮流を大きく変わり、そこに「新しい当たり前」ができる。いま私たちは、いくつものそうした変革の門口に立っているのである。

いま、私たちは歴史の一つの重要な岐路にある。それは、地球や人類が破局を迎えるのか、私たちが持続可能な未来を手にすることができるのかの分かれ道である。地球というこの惑星が人類の生存を支えることのできる限界「プラネタリー・バウンダリー」の臨界点(ティッピング・ポイント)を超えると、不可逆的に壊滅に向かうという研究がある。その前に、私たちは、SDGs達成に向けた行動変容の「閾値(クリティカル・マス)」を超えて、世界の流れを変えることができるのか。それがいま試されている。

多様な主体の中でも企業の役割に着目するのであれば、それは企業が自社のビジネスの中核にESGを取り入れ、「SDGs思考」で打ち出した新しい製品や素材やノウハウが市場の閾値を超え、新しいデファクトなスタンダードや誰もが手にする「新しい日常」を提供できることも示唆している。国連は、2030年までの10年を「行動の10年」と定め、世界中でSDGs実現に向けた活動を促している。地球規模の課題は深刻で、地政学的な対立も続く今日、米国などではESGが国内政治のなかで逆風にさらされるような状況も浮かび上がっている。しかし、多くの企業が「SDGs思考」とESGを結び付けた大胆なイニシアティブを取ろうと思えば、できることはたくさんあるはずである。ESGを通じたSDGs達成のプロセスのなかから生まれるであろうまだ見ぬ変革のビジネスをこれからも応援していきたい。

星野俊也 ESG-IREC共同代表、国連システム監査官、元国連代表部大使。


本稿は、個人の見解であり、所属するいかなる組織・団体の意見を代表するものではないことをお断りいたします。

  1. 電通News Release「第6回『SDGsに関する生活者調査』を実施」2023年5月12日。https://www.dentsu.co.jp/news/release/2023/0512-010608.html ↩︎
  2. Political Declaration adopted at the High-level Political Forum on Sustainable Development (HLPF), under the auspices of the General Assembly in September 2023. ↩︎
  3. 電通、前掲資料参照。 ↩︎

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