“Pride Crumbles Quickly”, But Restoration Takes Ages

驕る平家は久しからずとは云うものの

2025年2月28日

人々は情報を得ると「知識」として蓄える。知識を多く持った人は「知識人」として一目置かれる存在になる。自分が他の人よりも少し偉くなった気になる。しかし情報をいくら多く持っていても、それを正しく活用できないと単なる「物知り」に過ぎない。持てる知識を「正しく活用」するとは、社会をより良くする、多くの人々をより幸せにするためにその知識を使うことだ。それには道理をわきまえた社会的・倫理的に適切な判断ができる能力が必要だ。「知識」に対してこれを「良識」と呼ぶ。

かつては全ての人の幸せを願う精神が尊ばれていたが、最近なぜ博愛主義が廃れ、自分だけの豊かさを求める利己主義が急激に蔓延してきたのだろうか。その要因の一つは、「知識」はあるが「良識」に欠ける利己的な人間が権力を握ったことで、社会も自己中心的な考えや行動を容認するようになり、それが常態化してきたことだ。二つ目は、その権力者に迎合することで、自分も権力の恩恵に浴しようとする人たちが少なからずいることだ。三つ目は、SNSの急激な普及によって、権力者やその迎合者たちがより一層、恣意的に情報をコントロールし易くなった点だ。既存のメディアは情報を流す前に、その真偽を確認するのが当然であるが、SNSにはその機能が無い。

SNSの内包する危険性については授業で何度か述べたので、今回は迎合者について少し考えてみたい。彼らには幾つかの共通点がある。1)信条やプリンシプルといったものは無く、倫理観や道徳観は希薄である一方、権力の変化に非常に敏感で、自分の意見を柔軟に変えることができる。2)権力者の承認や評価を強く欲し、そのため権力者には極めて従順に振舞う。3)権力者に迎合しない人を「高い倫理観と信念がある」とは思わず、単に「世間を見る能力が無い」とさげすむ傾向がある。

財力と知識はあるが良識が無い人々は、権力者も迎合者もその知識を社会の為ではなく、自分個人の利益のためにだけ使い、その知識・情報をどう利用すれば他者よりももっと「比較優位」になれるかばかりを考えている。特に情報が早く多く集まる立場にいる人は、こうした人物に成り下がる危険をはらんでいる。そうならないためには、社会のために自分は何ができるか、何をなすべきかを考えて自身のプリンシプルをしっかりと持っておく必要がある。

また「驕る平家は久しからず」とは云えど、たとえ短期間でも驕り高ぶる者を許すと、国民の失うものは非常に大きく、それを修復し元に戻すには極めて長い年月と労苦を必要とすることは多くの歴史が示すとおりである。利己主義を許さないために、今こそ我々の知性と良識を使う時ではないだろうか。

戸田洋正 ESG-IREC招へい教授/Japan Core Competence Management Ltd代表

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