A Critical Juncture in History

いま、歴史の重大な分岐点でESGインテグレーションの実践を

2024年1月20日

SDGsやESGやサステイナビリティといった言葉を聞かない日がないほどに「日常化」していることは、言葉の普及という面では意味がある。でも、どこからどう手を付けたらよいのか、自分たちのいまのやり方でよいのか、ふとそんな思いに駆られる方々も多いに違いない。

そんなとき、いまの自分が地球に暮らし、人類の一員であり、未来の世代にバトンを渡す役割がある、と頭の片隅にでも思い描いてみることはできないだろうか。

「地球」?「人類」?それに「未来」? 目先のことでさえいろいろあるのにと、おそらく多くの人々にとって、こうした言葉こそふだんの日常からはかけ離れていて、せっかく日常化してきたSDGsやESGやサステイナビリティの議論をかえって遠のかせてしまうおそれは確かにある。だが、私たちが人間としてのこの地球の生態系のなかで暮らしていることは紛れもない事実であり、時とともに未来への歴史を刻んでいるのが私たちに人生である。そして、すべてはつながっている。例えば、国連のグテーレス事務総長は「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化(global boiling)の時代が訪れた」と警鐘を鳴らした(2023年7月の発言)が、私たちがいま、そうした状況のただ中にいることを、やはり意識をしておくことは意味がある。

では、何をどこから手を付けたらよいのか。それは、もちろん国際協力や慈善活動もあるかもしれないが、私たちの日々の生活やビジネスにまず目を向けることが自然であり、合理的だ。とりわけ、シビアなほどに「リターン(見返り・利益)の最大化」を主要な行動原理とする民間ビジネスが私たちを取り巻く環境・社会・経済のエコシステムの中に占める位置や比重や影響の大きさを考えるならば、企業がどう動くのか、いや、企業をどう動かしていくかが未来に向けてのカギとなる。私たちが企業行動における「ESG(環境、社会、企業統治)」要素の取り込み方に着目する理由もそこにある。

資本主義の常として投資や融資や出資などを通じた資金の流れが道を創る。2006年4月、コフィ・アナン国連事務総長(当時)がニューヨーク証券取引所でのセレモニーで公表した「責任投資原則(PRI)」は、企業にとっての血流となる投資のマネーのなかに従来からの経済的なリターンに“プラスα”のリターンが自動的に組み込まれるようにした、一つの「企て」と言える。PRIは、企業には投資分析と意思決定のプロセスにESG(環境、社会、企業統治)の課題を組み込むことを求め、株主や投資家には株式の所有方針と所有慣習にESG課題の取り入れを求めている。これは、企業が「経済リターン」を得ると、いわばオートマティックに「環境リターン」と「社会リターン」も生み出されるような仕組みを作ろうとしたものである。

2030年までに持続可能で誰一人取り残さない世界を築くというSDGs(持続可能な開発目標)は、国連で合意された文字通りの“目標”で、国も自治体も企業も市民も誰もがどこで何をしていっても、同じ方向を向くことで、互いを打ち消し合うことなく、むしろ相乗効果があがるようしていくための羅針盤になっている。その中でESGは、SDGsが目指す環境ゴールや社会ゴールの達成を中心に、企業行動をシンクロさせるための一つのユニークな“手段”になっている。大企業か中小企業かスタートアップかを問わず、また、従来の株主重視の資本主義の発想に縛られず、むしろ「ESG資本主義」を共通の基盤にさまざまな業種のさまざまな企業が織りなす創意工夫が相互の利益の拡大を生み出せたならば、理論的には、経済と環境と社会のリターンの間にきわめてダイナミックな好循環を生み出すことが可能となる。

あくまでも開かれた市場での自由な取引が資本主義の前提であるとするならば、そこでの(重大なルール違反に対する制裁など極端な例外を除き、)強制による行動変容は望ましくない。では、利己的で自律的な主体が、いかに結果として全体の利益をも勘案した行動を取ることになるのか。これは、SDGsやESGの世界ではアカデミックな議論に留まらない重要な問いかけになる。

それが自己の「マテリアル(物質的/重要)」な実利に直結するからという現実的な理由もあれば、自らの「エシカル(倫理的)」な価値の反映とする道義心も大きな理由となるだろう。しかし、ここで私は、さらにもう一つ、「健全な危機感」の共有の必要を訴えたい。ESGを企業活動に取り込む「ESGインテグレーション」が、自己利益や使命感を抱く企業や投資家によって実践されることは望ましい。だが、同時に、時間は待ってくれないという切実な問題も見逃せないのである。

その時間とは、地球の時間であり、人類の未来に残されている時間のことである。

いま、私たちは歴史の重大な分岐点に立たされている。そう言ったとき、どれほどの方々がそれをリアルに感じてくださるだろうか。率直なところ「またか」とか「まさか」という感触を持つ方もいれば、それはわかっていても次の一歩を踏み出せずにいる。そうした声も正直なところだろう。しかし、逆説的に聞こえるかもしれないが、SDGsやESGやサステイナビリティといった言葉が日常化する中で、私が最も懸念をし、焦燥感さえ覚えるのは、結果的にSDGsやESGが生まれたもともとの背景にあったはずの危機感が、日常や現状のなかに埋没してしまうことである。あるいは、誰しもが取り組めるような身近な行動変容(それはそれで重要ではあるが)までは心がけても、そこで充足し、「その先」の抜本的な意識変革や行動転換にまで思いや活動が及ばないこともあるだろう。私たちのいま取る選択が未来を左右する、そんな時代に私たちは生きているのである。

言うまでもなく、「サステイナビリティ(持続可能性)」のことをこれほど取り沙汰しなければならない根源的な理由は、現状の延長線上にある私たちの未来がこのままでは確実に「持続不能」になってしまうからである。そして、持続不能な未来を回避するには、私たちが今日「当たり前」と思っているシステムそのものを「破壊的(disruptive)」なレベルにまで転換することが必要で、そのためのアクションは早ければ早いほど望ましく、遅くなればなるほど難易度が増すことなる。いまや世界各地で異常気象が発生している。日本もその例外ではない。「ネットゼロ」社会の実現は、たとえ容易でないといても、それをやらないという選択肢はもはや私たちには残されていない。生物多様性の保全も、拡大する不平等や暴力的な紛争の管理も、新たな感染症への備えも、さらには暴走しかねない科学技術イノベーションへの対応も、みな待ったなしの状況にある。

私たちはいま、地球や人類の歴史において、かつてないほどに経済と環境と社会とが密接につながり合ったエコシステムの中に生きている。それは人類の活動の急速な拡大が地球の生態系や自然に計り知れない負荷を与えた結果でもある。だからといってやみくもに危機感を煽るつもりはない。到底楽観はできないが、最も用心しなければならないのは、悲観や諦めの気持ちに押しつぶされることである。私がここでESGインテグレーションに着目するのは、ビジネスを通じた現状打破に大きな希望を抱いているからにほかならない。なぜなら、適切なかたちでESG要素を取り込んだビジネスであれば、企業の弛まない営利活動が、営利のみの活動で終わらず、新たな市場やビジネスチャンスを切り拓き、それが持続可能で包摂的で公正なよりよい未来を築くための世界変革のチャンスにもなると期待しているからである。

私たちが目先の利益計算にばかりとらわれず、健全な危機感と使命感と挑戦心を抱いてESGインテグレーションを果敢に推し進めることで、この歴史の分かれ目で禍機を好機に転換し、経済と環境と社会のリターンが連動するサイクルをどこまでも拡大していくこと。これは、私たちが意識している以上に持続可能な地球と人類の未来の構築に直結する、きわめてやりがいのある営みであることを、ここに改めて強調しておきたい。

星野俊也 ESG-IREC共同代表、国連システム監査官、元国連代表部大使。

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